言葉と言葉のつながり

第11講 S-11

 構えているとよい文章は書けないらしい。文章による創作、それは言葉と言葉の新しいつながりを発見することであるが、何かを熟慮するよりも、何気ない心意気のときに発揮される。つまり、このように文章を書いている時は、それが困難なのである。

 たとえば、自転車に乗っている時、歩いている時、何も考えていない時に、新しい言葉のつながりを発見する。例示した3つのうち、最低でも2つは自分自身が何かしら行動している時に起因し、あとの1つはどのような状態においてもあり得るであろう。いずれにせよ、構えることなく、思うに任せて、あるいは何も思うことがないのであればそれに任せることが必要なのだ。

 しかし、人々は、こうして発見したものを記録することなく放置し、次に思い出そうとしたときには忘却していることが、往々にしてある。このようにして忘れ去られ、もう二度と発見されなくなった言葉のつながりは幾多であろう。また、この事実は、この場のつながりのみならず、人々は発見した、創作しようとしたあらゆる事象について言える。例示するまでもなく、これが数多あることは推察できることだ。

 一方で、そのような興味深い発見と対比して、ここまで書いてきたような駄弁が溢れていることも、また事実である。構えることなく発見された言葉とことばのつながり、この対置には、思慮を含んだありきたりな駄弁がある。

 比較などではない。事実の提示である。